第03話    「庄内釣の道徳 その一」   平成24年11月18日  

  鶴岡市民で村上龍男と云う人物を知らない人は、まずはいない。鶴岡では村上龍男=クラゲの館長として全市民に知られている。地方の何時閉館に追い込まれるか分からなかった小さくてみすぼらしかった水族館を一躍クラゲで見事復活させてしまった男なのである。氏と館員の努力が実り今年はついにクラゲの常時展示世界一を成し遂げ、ギネスに世界一を認定された。そんな事もあり、マスコミや新聞雑誌等に取り上げられた村上龍男氏は、鶴岡市民なら誰でもが知るそんな有名人になってしまった。
 以前の館長は、庄内竿を作り、庄内釣りをする人と云う事で知る人ぞ知る鶴岡の一有名人であった。私が懇意にさせて貰ったのも、急遽亡くなられた酒井忠明氏の代理講演(「庄内竿」と題するもので167月に開催された)に竿師として知られた丸山松治氏と両名が致道博物館の講師として出て来た事がきっかけである。彼特有の鶴岡弁(羽黒弁?)で聴衆に向かい飄々と語りかける口調は、プロの弁士と違い決してお世辞にも上手な物ではない。がしかし、講演に出て来た人すべてをいつの間にか、彼の話の中に引き入れてしまうと云う魅力に溢れたものであった。NHKのラジオの出演に選ばれて東京のスタジオに何度か足を運んだ事もあった。NHKから気に入られたのか、その後何度か出演の依頼を受けている。
 日本国中何処の講演会に出かけて行っても氏は彼特有の鶴岡弁で話をする。当然天下のNHKに行ってもである。その語りかけの口調が、相手にとって心地良く聞こえているようだし、不思議と鶴岡弁で話をしているにも関わらず何となく聴衆は話しかけている意味が理解出来ているようなのである。これは氏の生まれつき持って生まれた才能なのであろう。自分の学生時代東京の友達を酒田に呼んで、象潟の海水浴場に出かけた事がある。そこで彼らは地元の女の子たちに話しかけていたのだが、その友は全く意思の疎通が出来なかった云う。まるで外国に来ているようだと友達に云われた。その若い女の子たちが話す言葉は、自分には大分気を使って丁寧な言葉で喋っていたように聞こえていたから、当然理解が出来ていたと思っていたのに・・・。
 以前鶴岡の釣好きの市民の間に、釣で有名になっていた氏であるが、子供の頃から釣りが好きであった訳ではない。山形大学農学部を卒業後、鶴岡市役所に入った。その時の配属先が今の加茂水族館であった。その頃の氏は、魚は網で獲るもので、それを一匹ずつ釣竿で釣り上げる等と云う非能率的な事が、決して楽しいものだとは考えられなかったと云う。
 それが水族館裏で釣りをしている人を見かけた事から釣り人生が始まったと云う。ある日の事、二間半(4.5m)の庄内竿にかかった強烈な黒鯛の引きを見てしまった。竹の竿が折れんばかりに満月の如き見事な弧を描いている。その釣師は黒鯛の右に左に差し込むのを華麗にいなし、見事な竿捌きで魚の動きに対応していた。やがて疲れを見せてポッカリと浮いて来た黒鯛を一緒に来た友が出した網にすっぽりと入った。それを見たのが、釣師としての始まりとなった。「釣りはただの遊びではない! 釣りとはとても奥の深い物だ!」と氏はその瞬間に感じとった。その後、早速竹竿を数本買いに走ったと云う。もちろんその当時は中通し竿全盛の時代であったが、館長は敢えて延べ竿に拘ったと云う。